大袈裟な人の6つの心理や特徴とは?

大袈裟な人とは、物事の事実よりも大きく伝えたり、見せかけたりするような人のことです。

そんな問題を大きくしがちな大袈裟な人はあなたの身近にも一人や二人ぐらいはいることでしょう。

もしかしたらあなたにはそんな人をあまり理解できないかもしれませんし、あなた自身が周りの人から大袈裟だと思われている可能性もあります。

そこで今回は大袈裟な人の心理や特徴についてご紹介していきますので、ぜひあなたやあなたの周りの人に当てはまるかどうか確認しながら最後まで御覧ください。



大袈裟な人の心理や特徴

 

自分の思いを理解してほしい

 

人に今ある状況や経験を伝える時、そのまま伝えてしまうと「なんだその程度か」と思われてしまうことがあります。

その場に居なかった、経験できる立場にないという場合は、相手に自分の思いを理解してもらおうとしても、予想以上に理解されないことが多いです。

甘く見られたり軽くあしらわれたりと、自分の思いが伝わらず「なんで伝わらないんだ」と不満を抱く人は、多少大袈裟になっても自分の思いを理解してほしいという思いが強いのでしょう。

「こんなに苦労した」「こんなに頑張った」「尋常じゃなかった」という思いを相手にも分かってもらいたくて、大袈裟な表現や伝え方をする人もいます。

このような人は、人から認められたいという欲求があり、認められた時に初めて「やって良かった」「頑張って良かった」と思えるタイプです。

そう思うためには、自分の状況や思いを大袈裟に伝え、相手に知ってもらう必要があり、多少の嘘や作り話も盛り込んでいることでしょう。

いつも大袈裟に伝えてくる、話を盛るという人は、それだけ分かってもらいたい気持ちが強いと言えるでしょう。

 

注目を浴びたい、目立ちたい

 

大袈裟に感じる行動や発言があると、人は少なからず「え?どうしたの?」と見てしまうものです。

何か特別なことがあったのかもしれない、普通ではないことが起きたのかもしれないと、興味を示す人が大半でしょう。

この心理を利用して大袈裟な人は人からの注目を浴びようとしていることが考えられ、「目立ちたい」という思いが反映された行動です。

我慢できる程度のケガであっても「痛い痛い」と大きな声で叫びながら「骨が折れたかも」と大袈裟に言えば、周りの人は「見せて」「大丈夫?」と心配してくれます。

一時的にであっても自分を見てもらえることに喜びを感じ、注目されていることで快感を得ているのかもしれません。

このような目立ち方をする人は、時間と共に周りから見放されていく傾向に。

「またか」「どうせいつものことだろ」とないがしろにされてしまうため、大袈裟な行動や発言はさらにエスカレートします。

かまって欲しい思いを持っているこの人は、誰かに必要とされたり愛されることに飢えている人かもしれません。

見られること、心配されることで、求められていると勘違いしていることが考えられます。



人からの評判を良くしたい

 

見栄を張るという意味で大袈裟な人もいます。

例えば過去の栄光を少し盛り、大袈裟に伝えることによって、相手から「すごい人」「尊敬する」と思われる。

過去の栄光を事実なのかを確認する術は相手になく、また時間が経てば経つほど思い出が美化されていき、大袈裟な伝え方をしてしまうのです。

これは単に、「褒められたい」「すごいと思われたい」という心理からくるもので、大袈裟にしているのは「分かりやすく伝えるため」です。

スポーツで例えるならば、「市の大会で5位の成績を収めた」というよりも、「県でトップクラスの成績だった」と言った方が、そのすごさが伝わるでしょう。

人からの評判を良くしたいと考えている人は、事実を変えずに話を大きく捉え大袈裟に伝える方法を用います。

具体的に話すのではなく、大まかにざっくりと話す形にして、話自体を大きくする。

相手に伝わりやすい方法で大袈裟に伝え、自分の評価を良くしたいと考えた巧みな技とも言えるかもしれません。

具体的な回答を求めていくと、実態を把握することができます。

その時あたふたした行動を見たり、「県でって言っても市内なんだけどね」と謙虚な姿勢が見られてきたら、ただ褒められたい願望が強かっただけです。

人から「すごいね」「さすがだね」と言われたいがために大袈裟な発言をしている場合は、自分の評価を良くしたいと思っているのでしょう。



感受性が豊か

 

たとえば、旅行先で美しい風景を見たとします。

その際、同じ風景を見ても、大きな感動を覚える人もいれば、「きれいだな」とは思っても、それほど特別な感動は覚えない人もいるでしょう。

前者の場合、旅行から帰って友達などに土産話をする時、「今度の旅行ではこんな絶景を見たよ。あんな景色、生まれて初めて見た。あまりの美しさに感動して、涙が止まらなかった」というように熱っぽく話すに違いありません。

その話を聞いた友達が「じゃあ、自分も見てみよう」と思い、同じ場所に行ってその景色を見たところ、「なんだ、たいした景色じゃないじゃないか。あの人は大袈裟だな」と感じることも大いにありえます。

この場合はつまり、旅先で感動した人ほどの感受性がその友達になかったため、結果として「大袈裟な表現」と受け取られてしまったわけです。

これは一例ですが、良いことにしろ悪いことにしろ、ふつうの人よりも格段に強い刺激をものごとから受けるため、ふつうの人にとっては大袈裟な表現をしてしまうことが、感受性豊かな人にはよくあるのです。

際だって豊かな感受性を持っているというのが、大袈裟な人の心理的特徴ということになるでしょう。

 

心配性で精神的なキャパシティが小さい

 

仕事をしていてパニックになり、大騒ぎをする人がいます。

誰しも、何かアクシデントが起こったり、思わぬミスをすれば、慌てることはあるでしょう。

しかし、大袈裟な人は、ふつうはそこまで騒がないようにことでも、周囲が驚くほど騒ぎ立ててしまうのです。

それほど大きなミスではないにも関わらず、「取り返しのつかないことをしてしまった」とか「これは致命的なミスだ」と判断し、パニックになるわけです。

そこには、心配性で、心の容量が小さいという心理的特徴があると考えていいでしょう。

これは、自分自身に関することに限ったことではありません。

たとえば、仲の良い友人が冬に薄着をし、寒そうにしていたとしましょう。

それを見ると、ふつうの人は「そんな薄着をしていると、風邪を引くよ」ぐらいの心配はします。

しかし、そうしたレベルの心配にはとどまらず、「インフルエンザにでもなったら、命に係わることもある」とか、「肺炎で亡くなる人はたくさんいる」というように、過度な心配をするのが、大袈裟な人と言うことになるでしょう。

精神的なキャパシティが小さいため、自分のことであれ、人のことであれ、過度に心配して騒いだりパニックになったりするのが、大袈裟な人の心理的特徴なのです。



サービス精神が旺盛

 

芸人やタレントは、人を喜ばせたり笑わせたりするために、話を大袈裟にすることが日常的にあります。

彼らにとってはそれが仕事なわけですが、話というものは、事実をそのまま話すよりも、大袈裟に脚色したほうが、ずっと面白くなるものです。

芸人はそのことを熟知しているからこそ、話を盛っておもしろおかしく聞かせるわけです。

大袈裟に話をする人は、そうした芸人と同じ心理を持っていると考えていいでしょう。

たとえば、友達何人かで飲食をしている時、「こんなことがあったよ」というエピソードを話すとします。

その際、エピソードをそのまま話したのでは、大しておもしろい話にはなりません。

話を膨らませ、脚色し、「こんなすごいことがあったんだ」と大袈裟に語れば、場は盛り上がります。

話を聞く友人たちは、「また、そんな大袈裟なことを言って」と思いながらも、話のおもしろさには心惹かれ、プラスの反応をするに違いありません。

大袈裟なほら話とわかっていても、話が面白さえすれば、場の雰囲気は盛り上がるのです。

そのことを知っていて、人と楽しませようとするのが大袈裟な人です。

つまり、大袈裟な人には「サービス精神旺盛」という心理的特徴があるということになるでしょう。

 

大げさな人は自分本位

 

いかがでしょうか。

大袈裟な人は基本的に自分を中心に考えます。

相手のことを考えれば大人しくしておくのがベストな状況でも、大袈裟に振る舞うことで自分に注目を集めたという気持ちがあったり、ただ単純に大袈裟にしたいという気持ちが先行してしまうのです。

あなたがそのことに対して嫌だなと思うのであれば、あまり深い仲にならないようにしましょう。

大袈裟な性格はすぐに改善されるわけではないので、あなた自身が距離感を保つことのほうが手っ取り早いでしょう。

また、もしあなたの仕事が上手くいっていなかったり、職場での悩みがあるのであれば「仕事ができない人の特徴とその対処法9つ」もあわせて読んでみましょう。

きっと今までの悩みや問題が一瞬で解決できるキッカケをつかむことができるはずですよ。



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