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誰もが聞いたことがあるインターネットショッピングモールを立ち上げた男。
楽天 三木谷浩史。
彼が楽天をオープンさせる前までの話。
楽天が生まれるまで
三木谷氏はいわゆるエリートである。
一橋大学を卒業し、日本興業銀行(今のみずほコーポレート銀行)に入社する。
仕事ができないわけでもなく、むしろ努力が認められ、アメリカのハーバード大学へ留学しMBAの資格を取得したという経歴がある。
しかし三木谷氏は会社を辞める決意をし、起業する。
その理由はアメリカの起業家精神に触れたことが大きいと語る。
たとえ小さな手漕ぎボートでも、自分で作った船で、
僕は新しい潮流に乗り出したかった。
どんな業種でも、どんなに規模が小さくても、
とにかく失敗を恐れず起業しようと思ったのだ。
では何の事業にしようか。
その時三木谷氏には3つの事業を思い浮かべていた。
1つはアメリカで見つけた天然酵母のベーカリーのフランチャイズ、
もう1つは地ビールのレストラン
そして後に選択するインターネットショッピングモールだった。
楽天がオープンしたのは1997年5月。
今から約15~16年ほど前だった。
しかし楽天が日本初めてのインターネットショッピングモールだったわけではない。
NECや富士通などの大手はすでに始めていた。
しかしそのどのサイトも盛り上がっている気配がなかった。
その原因は当時のモールへの出店費用が原因の一つであった。
当時の出店費用は、入会金100万、システム使用料として毎月30万、そして売上マージン10%とかなり高額なものだった。
もちろんその金額では出店者が増えるわけがない。
ましてやネットなどあまり普及していない時代である。
出店者が増えなければ、モールは盛り上がらない。
モールが盛り上がらなければお客など来るはずもない。
それを彼は、楽天の出店費用は入会金なし、マージンなし、月額5万のみとした。(当時)
だからといって多くの出店者が集まるほど甘くはなかった。
楽天がオープンした1997年5月の出店数は、
13店。
しかもそれらのほとんどが彼の知り合いだった。
楽天は三木谷氏と友人との2人で始まった。
そして後に楽天の副社長となる本城慎之介氏と出会い、
仕事をすすめていくようになる。
当時ホームページのサイトを更新する際にもお金がかかった。
ホームページに掲載されている商品一つ変えるのにも、
その都度デザイン会社に変更を依頼しなければならなかったのだ。
手間もかかるし、費用も発生する。
新鮮な情報が届けられないから、モノは売れない。
売れなければ、ページの更新も遅れる。
そうなるとモノはさらに売れなくなる・・・。
まさに悪循環が生まれていたのが当時のショッピングモールの現状だった。
これを改善させるために三木谷氏は出店者が自分たちでサイトを作れるツールを作成しようと考える。
そして本城氏がゼロから作りあげたのが楽天市場のエンジンとなった。
しかしその頃には一緒に事業を始めた友人は楽天から去っていた。
準備が整う頃には人数は6人になり、そして楽天をオープンさせた。
最初の月の売上は18万、ユーザーは30人。
到底喜べるものではない。
しかし三木谷氏は常に前向きだった。
それは彼にはいつも『改善』という言葉が胸にあったからだ。
改善さえ続けていけば、最終的には追い抜ける。
改善というのは、絶対的に成長する方法なのだ。
そして彼の言う『改善』を楽天が継続させていった結果、
オープンから十数年かけて、楽天の売上を18万から1000億以上、利用者を30人から3000万人以上の事業へと育て上げていったのだった。
現在の状態に満足せず、
常に改善を続けてきたこと、
常に前進してきたことが、楽天をここまで成長させた本当の秘訣だと思う。
改善を続けているからこそ、僕たちはインターネットの普及という
千載一遇のチャンスをここまで生かすことができたのだ。
三木谷 浩史
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