綺麗事ばかり言う人の心理や特徴とは?

あなたはつい綺麗事を言ってしまっていないでしょうか。

その発言はもしかしたら相手のことを全く考えていない独りよがりな意見かもしれません。

また、そんな相手から綺麗事を言われたらムカつくことは間違いないでしょう。

そこで今回は綺麗事ばかりを言う人の心理や特徴などについてご紹介していきます。



綺麗事の意味とは

綺麗事とは、現実のことを直視せず理想だけを語るようなことです。

本当はそうしたほうがいいのは誰もが分かっているけれど、さまざまな制約があり難しい状態でも、平然と理屈的には正しいことを述べることを綺麗事といいます。

綺麗事ばかり言う人の心理や特徴

カッコつけたがり

綺麗事ばかり言う人というのは、言うなれば「いいかっこしい」です。

体裁を常に気にしていて自分を良く見せようということに夢中なのです。

「いつも言うことがキラキラしている」、「前向きで明るい」、「正論しか言わない」、といった評価を求め続けた結果、綺麗事を並べ立てるようになってしまったということです。

常にポジティブ思考なのはいいことなのですが、問題はそれを自分だけでなく周りにまで押しつける傾向にあるということ。

私の意見は素晴らしいんだからあなたもこれに従いなさい、と言わんばかりに主張してくるので周りはウンザリしてしまうこともあります。

それが「綺麗事」というけっして良くない印象として捉えられてしまう原因なのです。

確かに綺麗事を言うとビシッと決まりますしそれに反論する人が悪者みたいに見えてきます。

まるで正義の使者にでもなったかのような気分になれて最高に気持ちがいいです。

だから、たとえ周りから良く思われないとしても綺麗事を言うことがやめられません。

自分のカッコ良さ、正しさにすっかり酔ってしまっており、時には人間は汚いけど自分の考えは美しいんだ、というようにこじらせていってしまいます。


口ばかりで行動がともなわない

綺麗事を言う人は基本的に口達者です。

これでもかというくらいにフワフワと宙に浮いたような理想論を延々と展開していきます。

でも理想は理想、現実に叶うことはありません。

だから結局行動を起こしたところで、その綺麗事が実現することもないのです。

綺麗事ばかり言う人も本心ではそれを理解しています。

したがって言うだけ言って行動には移しません。

中には本気で世の中を変えられると思って、理想を振りかざし行動している人もいますがそれは少数派です。

そして、そういう奇特な人はやがて理想だけでは世の中は変わらない、綺麗事だけでは生きていけないということを学びます。

それによってあきらめるか、自分の考えを改めるかして理想ばかりを追い求めるのをやめます。

こういうわけで実行力のある人や本気で取り組める人はいずれ綺麗事ばかり言うのをやめるので、結果的に綺麗事を言い続けているのはいつまで経っても行動に移さない苦労知らずだけ。

世の中をこうすれば良くできる、変えられるといくら熱く語っていても、所詮は「言うだけならタダ」だから言っていられるということです。


争いを好まない平和主義

綺麗事は誰に対しても角が立たない、見栄えのいい言葉です。

その言葉だけで激しく誰かを傷つけたり特定の誰かを厳しく批判したりするものではありません。

したがって、綺麗事ばかり言う人というのは、人と争わず平和的に物事を解決したいと願う人とも言えます。

もし本心から綺麗事を言っているのならばよっぽど真面目で道徳的、そして世界中のみんなもそうであると信じ込んでいる「いい子ちゃん」です。

そうでないならば、個人の主張よりも全体の調和を重視し、争うことなく物事を進めようとしている事なかれ主義です。

しかし、どちらにせよこれは物事の本質をあまり考えることができていません。

人それぞれ譲れないものがありますし、それがぶつかり合った時に争いが生まれます。

そういった争いを避けて解決するというのは、個人の意見を抑え込むことに他ならないのです。

このような解決方法がまかり通れば確かに世の中は平和なものになりますが、その実現により抑え込まれる人というのが必ず存在します。

まさに「世の中綺麗事だけでは済まされない」というわけですが、こういう人はそれが見えていないんですね。


綺麗事ばかり言う人が嫌いな理由

理想を言っているだけだから

理想的なことばかり口にする人の多くが、言葉だけで実際の行動が伴いません。

言うだけならタダですから、誰にでも綺麗事を口にすることができるでしょうし、多くの人がそのことをわかっているのです。

しかし、その綺麗事を現実にするためには相応の苦労や努力を伴いうことも理解していますので、大抵の人は頭では考えていてもそうしたことを口に出さないようにしています。

そんな中、いかに自分が素晴らしい考えを持っているのか主張するかのように、自己アピールのために安易に綺麗事を口にする人がいます。

実現が難しいことを理解してそれをあえて表に出さなかった周囲の人達からすれば、腹立たしいことこの上ありません。

言ったことに責任を持って努力をする人であれば問題ないのですが、綺麗事はそれが困難であるからこそ綺麗事であり、現実的ではない理想論ばかり掲げる人にはついていけないと辟易してしまいます。

こういうタイプは実現できるかどうかよりも、他人に認められたい欲求ばかりが強く、カッコいいから、尊敬されたいからという理由でいいことばかり並べますし、そうした気持ちが透けて見えるところも鼻についてしまうのです。


自己愛が強く他者を見下すから

綺麗事を並べる人は、自己愛が強い傾向にあります。

素晴らしい考えを持っている自分のことが大好きなだけならまだしも、そんな自分の考えを理解しない周囲の人を否定しがちなのが困ったところです。

人に好意的に見られたい、どこまでも前向きで物事を肯定的に捉える人格の優れた自分を知って欲しいからこその振る舞いでもあり、その上厄介なことにそうした偽善を偽善だという自覚すら持っておらず、綺麗事も本心から言葉にしているというタイプが少なくありません。

だからこそ、自分が正しいと思っている考えを否定されれば反発をしますし、自分の意見に沿わない人に対しては攻撃的になり、見下すようなこともするのです。

ある意味では苦労知らずの子どもだからこそ、どこまでも物事のいい面ばかりを見ようとする純粋さが失われていないともいえますが、周囲にいる社会に揉まれ、物事のネガティブな面も熟知している大人からすれば、ただの世間知らずの甘言に思えます。

その甘言が至高のものであると信じ込み、理解しない相手を蔑むような人とは付き合いたくないと思うのは当然の心理です。

面倒ごとに巻き込むから

最も嫌われるのが、自らの掲げる綺麗事のために他者を巻き込むタイプです。

口だけの人よりもさらに面倒で、自分が信じる綺麗事のために他者の都合や迷惑を顧みずに考えを押しつけてきます。

こういうことをすれば世の中のためになる、こうした取り組みを行っていくことでみんなが気持ちよく過ごせるようになる、世の中にはそうしたことがたしかに溢れているのですが、決して誰か1人の判断によって、大勢を巻き込んで進めていくべきことではありません。

みんなそれぞれ仕事やプライベートに都合を抱えていますし、綺麗事をいう人が自分の考えを現実化するために行動を起こし、周りに強制するべきことではないのです。

募金やボランティアなどが顕著でしょうが、善意の強要ほど腹立たしいものはありませんし、こうしたことは拒否をしたほうが悪者になりやすいのも嫌らしいところでしょう。

綺麗事を実行したければ口にした本人だけが努力をすればいいことですし、そうであれば周囲もそう嫌ったりはしません。

こうすべきだ、こうしなければならないと言われ、こちらの考えも聞かずに当たり前のように振る舞われれば反発心が生まれます。


綺麗事が好きな人の心理や理由

綺麗事が嫌いな人がいる一方で、好きな人も少なからず存在します。

ではどうして綺麗事が好きなのでしょうか。

その心理や理由について見ていきましょう。

良好な人間関係を保ちたい

奇麗事が好きな人には、誰からもよく思われたいという、八方美人なところがあります。

多くの人は、ほかの人とできるだけ良好な関係を作り、それを保ちたいと思うものですが、その意識が特に強いのが奇麗事が好きな人と言っていいでしょう。

ですから、人と自分との意見がぶつかりそうになったり、食い違いが生じそうになると、何とか事前にそのトラブルを回避し、表面的にとりつくろうようにします。

そのため、奇麗事が好きな人は、人との人間関係が深まるということはありません。

すべての人間関係を奇麗事ですませようとするため、そのつきあいは表面的なものに終始しますが、奇麗事が好きな人にとって何よりも大切なのは、人との良好な関係を壊さないことです。

人間というものは、人との関係が深まることによって大きな衝突が起こるということもあるでしょう。

奇麗事ではなく、お互いが本音をぶつけ合えば、より親密な関係を作ることも出来ますが、関係が壊れてしまうということも少なくありません。

八方美人で誰からもよく思われたいと思っている綺麗事が好きな人は、それをなんとか避けようとするため、表面的なつきあいに終始するのです。

人との関係は深まらなくていいから、関係を悪くしたくないと強く思っているのが、綺麗事が好きな人の心理ということになるでしょう。


自分が傷つくことが嫌

ふつうの人は、自分のおかれた状況によっては、「これは綺麗事ではすまされない」と判断し、自分が泥をかぶったり、自分が傷ついたりすることを覚悟の上で、問題解決に当たるものでしょう。

そして、人生にはそういう状況になることがよくあります。

綺麗事が好きな人でも、「これは綺麗事ではすまされない」というような状況に置かれることはめずらしくありませんが、そんな状況下にあっても、何とか綺麗事ですませようとし、必死に表面的にとりつくろうための努力をします。

そこにあるのは、「何が何でも傷つきたくない」という心理にほかなりません。

綺麗事ですまされない事態になった時、自分が泥をかぶるようなことになれば、まちがいなく自分は傷つきます。

人から疎んじられることもあるかもしれません。

人との関係は悪化しなかったとしても、自分のプライドや自己愛は傷つけれられることでしょう。

プライドが高く自己愛の強い人は、そのように自分が傷つけられることが許せないのです。

その意味では、大変に臆病なところがあるわけですが、自分が傷つけられるのが嫌で、なんとか表面をとりつくろってみせようとするのが、綺麗事が好きな人ということになります。


楽天的で何とかなると思っている

厳しい状況に置かれた時、ものごとを悲観的に捉える人は、けっして綺麗事ですませようとは考えないでしょう。

悲観的な人は、「こういう状況になったのだから、もう綺麗事ですませるのは不可能だ」と判断するからです。

綺麗事が好きな人は、ほかの人なら悲観的になるような状況にあっても、決して悲観的にはなりません。

大きなトラブルの渦中にあり、周りの人は、「今回ばかりは綺麗事ではいかないだろう」と思っているような状況にあっても、楽観的で「なんとかなる」と思っていられるのが、綺麗事が好きな人の心理ということができるでしょう。

実際にはうまくいかないことも少なくありませんが、綺麗事が好きな人はどこまでもポジティブなので、最終的に「まあ、これでよかったのだ」と結論づけることができます。

つまり、ふつうの人なら厳しく辛い体験になることも、「これでよかった」ととらえることができるため、また同じような事態が起こり、厳しい状況に置かれた時も、「なんとか綺麗事ですませることができるはず」と、楽天的に考えることができるのです。

綺麗事が好きな人には、ポジティブ思考で人生を甘く見ているところがあると考えていいでしょう。


綺麗事を並べる人にムカつくことは多い

いかがでしょうか。

綺麗事が好きだという人は少数派であることは間違いありません。

多くの人は綺麗事を並べられるとムカついたりするものです。

なぜなら、あまりにも現状を見ていなさすぎて、その上理想だけを語る人が数え切れないほどいるからです。

「だったらお前がこの立場になってやってみろよ」

そう言いたくなるでしょう。

しかし、綺麗事を言う人は「誰かが言わないと何も変わらない」という意識を持っており、噛み合いません。

ここで大切なのは、どちらかの意見をねじ伏せようとするのではなく、お互いが譲歩しあってちょうどいい着地点を見つけることでしょう。

ムカつくだけムカついて何も言わないというのは相手にも伝わりません。

綺麗事を言う人は、表面的な情報だけで判断している可能性が十分に考えられるからです。

ついつい綺麗事を並べてしまう人は、考えが浅くないか?どうしてできないのか?ともう一歩踏み込んで考えてみましょう。

考えに深みが出て、見えてこなかったものが見えてくるようになるはずです。

また、もしあなたの仕事が上手くいっていなかったり、職場での悩みがあるのであれば「仕事ができない人の特徴とその対処法9つ」もあわせて読んでみましょう。

きっと今までの悩みや問題が一瞬で解決できるキッカケをつかむことができるはずですよ。



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