薄っぺらい人間の特徴10つ
あなたは薄っぺらい人間だと思われていないでしょか。
自分ではしっかりと対応していたり、行動しているつもりでも、周りからは薄っぺらい人間だなぁと思われているかもしれません。
そこで今回は薄っぺらい人間の特徴をご紹介しますので、ぜひあなたに当てはまってしまうものがあるかどうか確認しながらご覧ください。
薄っぺらい人間
自分の言葉で話さない
会話の内容が雑誌やテレビなどできいたことがあるような話ばかりでつまらないと、薄っぺらい人間だと思われてしまいがちです。
他人からきいた話や他人の体験を単に再現しているだけの場合も同じです。
自分で経験し自分で感じ自分の頭で考えることを怠っている人は、発言にリアリティやオリジナリティが生まれませんので、薄い話しかできなくなってしまいます。
もちろん他人の話でも面白く話せる人はいますが、他人の話を自分の言葉で伝える工夫などをしている場合が多いです。
薄っぺらい人間だと評価されてしまう人は、自分の発言が本当に自分の言葉・思いなのかをチェックしてみましょう。
興味の対象が狭く浅い
他人やモノ、身の回りの出来事に興味が薄い人は、やはり薄っぺらい人間だと思われてもしかたがありません。
ただ、自分の興味がある一定の分野や趣味のことに没頭している、いわゆる「おたく」には知識や情熱が感じられることがありますので、薄っぺらい感じはしてきません。
その差は興味の対象の広さと深さにあります。
あれこれと浅く広い知識をつけていくこともひとつですし、狭く深く研究していく道もひとつです。
専門とよべる分野をもつことができればそこから学ぶことも多いですし、自然に知識も深まります。
その状態を「薄っぺらい」という人はいないでしょう。
感受性が弱く感情表現のバリエーションが少ない
出来事から感じることや得る教訓がなく、また感動もない、そんなひとも薄っぺらい人間だといわれがちです。
これは出来事を分析したり原因を考えたり、その状況を楽しもうというバイタリティがないことが原因のひとつです。
たとえば卒業というひとつのイベントからなにを感じるでしょうか。
そこまでにかかった学費、親の苦労を想像すれば感謝の気持ちもわきます。
友達と会えなくなることを考えれば悲しくもなるだろうし、それからの大学生活や社会人生活を考えれば期待や不安も生じることでしょう。
そういう簡単な想像をせず、自分の心を動かさない人は他人の心を理解したり他人の気持ちを動かすこともまた少なくなってしまいます。
身の回りで起こることに対してもっと深く感じ考えるくせをつけると「薄っぺらさ」解消につながるかもしれません。
人の中身を見ようとしない
お金がたくさんある、高学歴であるといった目に見えるもの、わかりやすい肩書だけで凄い人だと判断してしまうような人間は薄っぺらい人間だと言えます。
経歴やお金のあるなしだけでなく、その人が生きてきた体験、経験なども知り、人として成長できているかも考えて人の判断をすることができるといいでしょう。
こういった人の中身を優先にして人を判断するという事は友人関係だけでなく、将来の結婚相手を選ぶときにも大事になります。
中身よりも見た目や経歴を優先にする人は周囲から薄っぺらい人間だと思われてしまうでしょう。
面倒なことはすぐに投げ出す
愛想がよく誰とでも仲良くできるような人でも、面倒なことが起こるとすぐに投げ出してしまうような人間は薄っぺらい人間だと思われるでしょう。
困ったことがあった時や助けが欲しい時に助けてくれないような人間は友達も減っていきますし、自然と人は距離を置くようになります。
面倒な時も逃げずに助けてくれる人間こそが真の友人でしょう。
普段社交的でも面倒な時に助けてくれないような人間は薄っぺらい人間だと感じることでしょう。
言葉に重みがない
苦しいことがあった時や、何か立ち向かわなければいけない困難なことがあった時、気持ちの救いになるような言葉をかけてもらうと人は安らぎや癒しを感じるものです。
ですが、どんなにいい言葉をかけてもらっても、行動と言動が伴わないような人は言葉に重みもなく、薄っぺらい人間だと思われてしまいます。
今までの人生でたいした苦労もしてきていないのに苦労話を大げさに話したり、自分ばかりが大変な経験をしてきたような話し方をする人は周りへの気遣いもできないような人が多く、薄っぺらさを感じさせてしまうことでしょう。
体験者にしか語れない言葉の重みというのがありますから、経験したこともないのに偉そうに話をするような人は薄っぺらい人間だと認識されても仕方のないことかもしれません。
もう聞きあきた!小さな自慢を繰り返すのは薄っぺらい
人の自慢話は、多くの場合他人からしたらどうでもいいものであり、興味を引かれない話題でしょう。
そんなことお構いなしに小さな自慢話を繰り返す人は、人間として薄っぺらいといわざるを得なくなります。
万人に自慢できるようなことならともかく、自分の感性や尺度だけに頼った自慢は、多くの場合は雰囲気を悪くします。
自尊心を満足させるために、周囲を利用することしか考えていないから、そんな空気の変化にも気づけないのかもしれません。
自分の満足と引き換えに、中身はどんどん薄っぺらくなっていくので、自慢を繰り返すことで他人の気を引かないと、誰にも相手にされなくなってしまうのです。
人は多くの他人と上手に付き合っていくことで自分を高め、人間としての内面を鍛えます。
繰り返される自慢話は他人との距離を広げ、人間として低俗になるきっかけとなるでしょう。
そうならないためにも、他人に提供する話題には注意したいですね。
自分というものがない?すぐに意見を変える人は信用できない
周囲や時代に流されて、コロコロと意見を変えてしまう人ほど、中身のない薄っぺらい存在に見えてしまうでしょう。
自分の中で確固たる意思を持つ人は、たとえどんな逆風に直面してもそう簡単に意見を変えはしません。
それだけの理由と、自分を信頼する力があるからこそ、厚みのある人間になれるのです。
一方意見が頻繁に変わり、考えが定着しない人は、いつだって足場が不安定で落ち着きがなくなります。
自分という存在を作ることができないから、いつも薄っぺらい意見や周囲に流されてしまうのでしょう。
この場合は、柔軟な考えを持って他人の意見を聞き入れることができる人とは、まったく別の人間です。
薄っぺらい人は自分の意見を持てないので、柔軟に物事を考えることもできません。
ただ言われるがまま、されるがままになるしかないのです。
情報や他人から抜け出すことができないと、いつまでたっても薄っぺらい人間性を否定することはできないでしょう。
知識そのものが薄っぺらい?受け売りだけでしゃべる人は要注意
本の内容やネットの知識を引用して、あたかも自分の知識であるかのようにしゃべる人に心当たりがないでしょうか。
受け売りの知識を自分の手柄にしようとする人は、どうしても薄っぺらい人間に思えてしまいます。
知識や情報は一度自分の中で吸収し、それを自分なりに解釈する工程が必要となります。
そういった過程を無視してしまうと、ただ知識の丸パクリになり、しゃべる言葉から自分の意見が消えてしまうでしょう。
人間は敏感なので、他人の受け売りだけでしゃべる人の薄っぺらさにはいずれ気づきます。
薄っぺらさを感じると途端にその人の魅力は無くなり、何をいってもつまらない人と思われてしまうでしょう。
知識の豊富さや深さは確かに人間の魅力を高めるものですが、それは考える力があって初めて意味が生まれます。
ただ物知りな自分を演じればいいと思っているなら、考えを変える必要がありますね。
保身が何よりも優先?自分を守るためならどんな嘘でもつく
やむにやまれぬものでないなら、たとえどんな上手な言い訳を思い付いたとしても、嘘をつくことは人間の質を落とす結果となるでしょう。
特に保身のために周囲を犠牲にするような嘘は最悪です。
自分を守るための嘘は、その人から信頼と実績を削ぎ落し、薄っぺらい人間へと堕落させていきます。
薄っぺらいと判断された人間の意見は、今後重要視されることはなくなるでしょう。
保身を考えた嘘は、自らの破滅を招くことだと理解しておいてください。
嘘も方便といいますが、それは上手に嘘をつくことができて、かつ他人に迷惑をなるべくかけないものに限られます。
下手な嘘と自分だけに利益がある嘘は、結局その人の薄っぺらさの証明となるだけで、それ以上の効果をもたらすことはないでしょう。
人としてより大きく成長するためにも、嘘で自分の首を絞めないように気をつけていてください。
薄っぺらい人間にならないようにする
いかがでしょうか。
たまに人と話していると「この人は薄っぺらいなぁ」と感じることがある人も決して少なくないでしょう。
もちろんそんなことを本人には言いませんよね。もしかしたらその人は上手に立ち回っているつもりかもしれません。
人というのはなかなか自分を客観視できないものなので、こういった機会に振り返らないと、いつの間にか自分も薄っぺらい対応をしてしまいがちになります。
まさに、人の振り見て我が振り直せというわけですね。
あなたは薄っぺらい人間になっていないかどうか、今一度チェックしてみましょう。
また、もしあなたの仕事が上手くいっていなかったり、職場での悩みがあるのであれば「仕事ができない人の特徴とその対処法9つ」もあわせて読んでみましょう。きっと今までの悩みや問題が一瞬で解決できるキッカケをつかむことができるはずですよ。