嘲笑う人の心理とは?知られざる本性6選!
あなたの周りに人を嘲笑うような人はいるでしょうか。
上から目線のようなその態度に良い印象を持つ人はいません。
しかし、なぜそのように笑うのか。
そこで今回は嘲笑う人の心理についてご紹介していきます。
嘲笑うの意味とは
嘲笑うとは、人をバカにしたような笑い方をすることです。
誰かが失敗したことを受けて嘲笑う、つまりバカにして笑うという意味です。
熟語では嘲笑するとも言います。
嘲笑う人の心理
優位に立ちたい
他人を嘲笑う人というのは力関係や勢力図についてとても敏感で、常に自分がその上位に立とうと策略を張り巡らせています。
実力で上に立つことは簡単なことではありませんが、他人を貶めることで自分を優位に見せることなら非常に簡単。
だから、嘲笑うことで相対的に自分を強く、大きく見せようとするのです。
誰かを嘲笑えば、周りも同調してその相手のことを下に見るようになります。
また、人を嘲笑う者がいるということでグループの中で緊張が走り、自分のことも悪く言われたくないとおびえて気を遣うようになります。
そうやって労せずして上下関係を生み、自分が優位に立つことこそが他人を嘲笑う人の狙いです。
しかしこれは結局のところ、グループの内部を引っ掻き回して雰囲気を悪い方向に導いているに過ぎません。
いずれはおびえていた人たちが反旗を翻す可能性だってありますし、ちょっとしたきっかけで勢力図がひっくり返ってしまうことでしょう。
いくら優位に立っているとはいっても積み上げてきたものがないだけにその地盤はもろく、いつ崩れるともしれない砂の城の上に立っているようなものなのです。
他人が気になって仕方がない
他人を嘲笑うということは、それだけ他人のことをよく観察して嘲笑うだけの材料を集めているということでもあります。
つまりは他人のことが気になって仕方がないために、その行動や特徴に注目して言及せずにはいられないのです。
その人に興味がなければわざわざ嘲笑するなんてことにはなりません。
まるでおもちゃのように特定の人をネタにして貶め続ける人がいますが、それだけ相手に執着しているということにもなります。
その裏にはコンプレックスや同族嫌悪といった屈折した感情がうごめいているというのもよくあること。
嘲笑っている相手によっぽどそういった胸中をかき乱す何かがあるのだということを自ら露呈しているのです。
大人しい相手のことを「暗い」とバカにする人は、明るく振る舞わなければいけないという強迫観念に囚われているか、自分にある似たような暗さがイヤで仕方がありません。
流行に乗らない人を「ダサい」と笑う人は、自分自身が苦痛交じりで流行に乗ろうと無理をしているか、同じくダサいと嘲笑された過去の傷を隠し持っています。
他人は自分を映す鏡とはよく言ったものですが、自分の気にしている部分が他人にもあるとそれが目について仕方がなく、まるでその人によってコンプレックスを照らし出されているように感じてしまいます。
そんな幻影を振り切るために嘲笑をしてしまうというわけです。
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心が貧しい
他人を嘲笑する人というのは、他人の落ち度や弱さを自分の娯楽に変えて楽しんでいます。
そういう悪趣味な行動でしか楽しみを見出せないという、心の貧しい人間なのです。
人は自分の興味のあるものに飛びつき、のめりこんで人生の楽しみを味わうものですが、いちいち他人の挙動を見て嘲笑する人の場合はそれだけ他に夢中になれるものがありません。
自分自身の体験や努力によって喜びや感動を味わうという情緒を持たないから、その代わりに他人を悪用して空っぽの心を埋めようとしているのです。
また、嘲笑する人というのはそういった人生の楽しみ方を周りの人とも共有し、「嘲笑」をコミュニケーションツールとして結束を固めようとします。
これも心が貧しいために他に笑いを提供する手段を持たない、あるいは知らないから他人をダシにして自分の面白さを主張している以外のなにものでもありません。
それに悪い感情を共有するというのは人が結束を強めるための非常に簡単な方法でもあります。
嘲笑する対象を踏み台にして面白みのない自分のことを虚飾で満たして、どうにか人と繋がりを持とうとあがいているだけなのです。
人生に不満がありストレスが溜まっている
人のことを嘲笑うというのは、自分の生活や人生に不満を感じている証拠と言っていいでしょう。
これは、大変満ち足りている人生を送っている人、幸せを心の底から実感してしている人のことを考えてみればわかりやすいはずです。
そのような幸せな人は、他の人が不幸な目に合ったり、自分よりも劣っているところがあるのを見ても、嘲笑うということはありません。
満ち足りた人生を送っている人には、心にじゅうぶんな余裕がありますから、人を蔑み嘲るような心理にならないからです。
嘲笑う人はそれとは逆で、心に余裕のない状態にあると考えていいでしょう。
その原因になっているのは、人生に対する不満です。
自分の人生に不満を感じていると、自然にストレスがたまってしまいます。
ストレス耐性が強かったり、ストレスをうまく解消できればいいでしょうが、そうでないケースが少なくありません。
多くの場合、人生に対する不満がストレスの原因になり、日々、ストレスをためていくことになりがちです。
そういう余裕のない心理状態にあるとき、人の不幸や失敗に遭遇すると、「ざまあみろ」という気持ちになり、そのことで少しでもストレスを軽減しようとすると考えていいでしょう。
その心理が嘲笑を生むわけです。
共感力が弱く人の気持ちに同調できない
共感力が弱く、相手の気持ちになれないというのも、嘲笑う人の心理と言っていいでしょう。
人の気持ちに共感し、同調することが出来ないからこそ、「人の不幸は蜜の味」と感じ、嘲笑うことができるのです。
共感力というのは、つまり、人のことをわがことのように感じとることができる力のことです。
たとえば、知人に思いがけない不幸が起こり、知人は傷つき落ち込んだ状態にあるとしましょう。
共感力のある人は、その知人の気持ちとシンクロすることができます。
「自分がもし、知人と同じ状況になったら」とか「同じことが自分に起こったら」と想像し、自分が当事者になったように考えられるため、知人の気持ちに寄り添うことができるのが、共感力のある人と言っていいでしょう。
そういう気持ちになることができれば、知人を嘲笑うことはないに違いありません。
自分のこととして考えているのですから、嘲笑する気にならないのは当然のことです。
人を嘲笑う人は、つまりそういう共感力が欠如しているのです。
共感力の欠如が原因で、あくまでも自分とはまったく関係のない他人事としてとらえるため、人を嘲笑うことができると考えていいでしょう。
劣等意識が強い
嘲笑う人には、強い劣等感を持っているという心理もあります。
ほんとうに自分に自信があり、「自分は優れている」という認識をしっかり持っている人は、人を嘲笑うということはしません。
自信がある人は自尊心が常に満たされた状態になっているため、劣っている人や不幸な人を見下すような心理になることがないからです。
嘲笑う人は、つまり、自分に自信がないと考えていいでしょう。
その原因になっているのが、劣等意識なのです。
自分は人よりも容姿が劣っているとか、仕事の能力がないとか、人間性に問題があるなど、強い劣等意識を持っているため、自分に自信が持てません。
その自信のなさがフラストレーションを生みます。
そして、人が不幸な目に合っているのを見たり、人の劣っているところを見たりしたとき、日ごろのフラストレーションを処理しようとする意識が働きます。
嘲笑うというのは、人を見下す心理によるものですが、劣等意識の強い人は、人の劣っているところや、人の不幸を見ることによって人を見下す心理になると考えていいでしょう。
自信のなさが生むフラストレーションを、人を嘲笑うことによって少しでも解消しようとしているわけです。
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あざ笑う人は嫌な奴
いかがでしょうか。
人を嘲笑うような人の性格は良いとは言えません。
人を見下しているような人間ですから、相手のことをバカにしたりしていることでしょう。
本人にそのつもりがなくても、相手がそう受け取ってしまったら、もう確定なのです。
このことを踏まえて今一度あなたの言動を振り返ってみましょう。
普通に笑っているつもりなのに、あざ笑っているような感じになっていないでしょうか。
笑い方などは自分では気付きにくいものです。
指摘をされたことがある人は、改善のきっかけを与えられたようなものなので、かなりラッキーでしょう。
一般的には面と向かって指摘されることはなく、陰口を言われます。
そのような状態にならないためにも、日頃から意識しておきましょう。
また、もしあなたの仕事が上手くいっていなかったり、職場での悩みがあるのであれば「仕事ができない人の特徴とその対処法9つ」もあわせて読んでみましょう。きっと今までの悩みや問題が一瞬で解決できるキッカケをつかむことができるはずですよ。